とある凡人院生さんの旅にっき

ド素人旅人が旅について適当に書いていくブログ

突然ですが、ブログやめます。

こんばんは。

 

 

帰国してからもう一週間過ぎましたが、まだ虚無感症候群は完治していません。ウクライナに戻りたいです。4月から憂鬱ですが次の旅を励みにして何とか頑張っていきます。

 

 

早速本題ですが、このブログを閉鎖したいと思います。ここで一年間旅ブログを書いてきましたが、続けるのが億劫になったという理由でやめることにしました。1年間、今まで読んで下さりありがとうございます。

 

 

それでは、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というのは、嘘でーす。

今日はエイプリルフール。なので私も日付が変わる前に便乗してみました。

 

 

旅ブログ自体はやめることはありませんが、実は今、新たにブログ用のホームページを作成しているのです。なので、やめるのではなくてお引越しということになります。あらかじめ報告を聞いた人は知ってると思いますが。

 

新しいブログは現在制作中。完成するまではここで旅行記を書きますが、引っ越ししてからは本ブログは削除する予定です(もしくは消さずに放置する可能性もある)。過去の記事に関しては、新しい方に貼り付けをして見れるようにしますのでご安心を。

 

あっ、引越しと新ブログ開設は嘘じゃないからね!

 

 

新ブログ完成までは、しばらくお付き合いをよろしくお願いいたします。

エイプリルフールネタ失礼しました。

東欧旅行ももう終わり

こんばんは

 

先月中旬に出発し、もう一ヶ月。東欧旅行ももうすぐ終わりを迎えようとしています。本当にあっという間でした。正直いうと帰りたくありません、日本に。このままずっと放浪しときたい。こんな憂鬱な中、ボリスポリ空港で記事を書いているわけです....

 

今回訪問した国は以下の通り

 

トルコ(外には出てないが正式には入国済み)、ブルガリアセルビアボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアハンガリーウクライナ

 

国境は5回越えました。全て陸路です。

 

ブルガリアセルビア(バス)

セルビアボスニア(バス)

ボスニアクロアチア(夜行バス)

クロアチアハンガリー(バス)

ハンガリーウクライナ寝台列車

 

ルートはこんな感じです。

 

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結構移動しました。

 

訪問した都市は以下の通り。

 

ソフィア、プロブディフ、ベオグラード、ノビサド、サラエボモスタルザグレブブダペストリヴィウオデッサキエフ、スームィ、プチーブリ、チェルニゴフ

 

旅行記は二週間分溜まっています。滞在中毎日書けるかと思いましたが、思ってた以上に忙しく、バタバタしていたのでこの結果となりました。帰国後に更新していきたいと思います。

 

今回も様々な発見、驚き、出会いがありました。次はどんな旅が待っているのか楽しみです。今から成田に向かいます。では。

 

*追記

 

先ほど帰国しました。ありがとうございました。

今日は成田周辺に泊まって明日関西に帰ります。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ 2017年3月1日

3月1日、サラエボ最後の一日はずっと雨だった。途中で同じ部屋になったモロッコ人男性のイェシンと朝食を取ることに。この宿、朝食は付いていたがパンと生卵、バター類が置いているのみのマジのセルフ形式だった。私はその生卵でスクランブルエッグを作り、彼はコーヒー(自由に飲める)を入れてくれた。

 

 

出来上がった朝食を丁度テーブルにいたロシア人と一緒に食べた。外の雨は強くなっていく一方だったので止むまで部屋で待機することに。モロッコや日本の話をしていくうちに、丁度ビザ事情に触れることになった。ここでは驚きの連続だった。

 

ビザ無しで行ける国というのは国それぞれ異なる。しかし、彼の国モロッコではビザフリーで行ける国はかなり限られてくるらしい。なのでボスニアをはじめとするヨーロッパの国々に行く時もビザの手続きをしたそうだ。行ける国といえばアルジェリアやトルコ、韓国(意外!)等の国々。一方、日本では皆さんもご存知かもしれないが、90カ国以上がビザなしで渡航ができるのだ。それをイェシンに言ったらめっちゃ驚かれた。

 

 

普段日本に住んでいたり、海外に行かない人はこの事実に気付かないかもしれないが、日本のパスポートというのは多くの国で受け入れられており、世界一周だって容易に行くことができるのだ。

私自身も恥ずかしながらこのありがたみを忘れかけていた。しかし、様々な国々の人と話をし、それぞれの国の事情を知ることによって、日本のパスポートの強みというのは改めて気付かされるのだ。

 

私の周囲の人たちは別として、最近の若い子達は海外旅行に関心が無い人が増えている気がする。昨年うちの大学で開催された合同企業説明会に参加した時、ほとんどの企業が駐在員制度の話をするのだが、その時社員さんが、海外に興味があるかどうかを学生に聞いたところ、ほとんどが興味がない、外に出たくない、国内でいいという意見が多かった記憶がある。もしかしたら一人暮らしをしていたり、貧しい家庭にいて行きたいけどお金がないから行けないという事情も有るかもしれない。

 

 

確かに個々それぞれ事情はあるかもしれない。しかし、日本は自由に多くの国を行き来できる数少ない恵まれた国である。世界一周もできるし、行きたい時に行くことができる。それを利用しないのはかなりもったいないと思う。海外旅行はハードルが高く思えるかもしれない。だが、海外なんてパスポート、お金、必要最低限の英語力と度胸があれば行けるのだ。根性なしで語学力クソの私でも1ヶ月何とかなっているのだから。出国しちゃえばこっちのもんさ。

 

なんかどうでもいいことを長々と語ってしまったが、ビザの話になってから色々と考えるようになったのだ。国際交流は楽しいだけでなく、テレビ等のメディアでは決して報道することのないリアルのお国事情の勉強もできるいいきっかけとなるのだ。(テレビ番組では海外のネガティブな側面はほとんど触れない事が多いので情報収集をする際、当てにならない。)

 

ゴホン、ここで旅行記に戻すことにしよう。しばらくリビングでダラダラ過ごすうちに雨は止んだ。それから二人で出発することに。この日行ったのは墓地とオリンピックスタジアム周辺。中心地からは少し離れているのでバスに乗って北の方に向かうことに。

10分乗り続け、ようやく到着。そこで最初に迎えられたのが黒い野犬だった。よく見ると耳にタグが付いていた。(写真は撮り忘れた。)おそらく狂犬病の予防接種済みなのか避妊済みかのどちらかであろう。中心地は野犬はほとんど見ないが、郊外には結構見かける頻度が高く、普通にうろついていた。

 

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郊外の長めもやっぱり山だった。上の方はほぼ雪が積もっている。

 

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しばらくあること墓地に到着。ここが入口である。

 

 

 

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場所が見つかりやすいように場所が表示されている。

 

 

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入口入ると早速白い墓が見えてくる。実はここ、元オリンピックの会場だったのだ。それがとても信じられない。でも幻想的であるというのもなんだか複雑である。

 

 

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墓地を見る時、イェシンが「せっかくだから写真を撮ろう!」と言った。しかし、私はそれはちょっとといったら「なんで、キレイだから良いじゃん」といったがさすがに墓をバックに写真を撮るのは抵抗があったし不謹慎だとおもってしまったのでやめた。

 

 

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本当にオリンピックがやってたんだな。。。

 

 

近くにオリンピックのモニュメントが見えてきた。ここから元会場に向かう。しかし、お互い道に迷ってしまう。そして再び雨が降ってきた。しかも強まってきたのでここで退散することに。我々は諦めてタクシーを呼んで中心地に戻ることに。

戻った後、昼食でケバブを食べた。

 

この日は中心地にもかかわらず、ガラガラ。雨だから人も少ないのだろうと思ったが違うかった。よく見るとほとんどの店は閉まってたし、窓にはB&Hの国旗が掲げられていた。彼に「これは何だ?」と聞いてみたらなんと、その日はB&Hの独立記念日だったらしい。

 

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この日は祝日らしい。

 

 

宿に戻り、しばらくイェシンとリビングでお茶をすることに。彼は礼拝があるからモスクに行くと言って一時的に出ていった後、溜まっていたブログを更新。外からアザーンが聞こえてきた。

 

 

彼が戻った後、宿のスタッフにタクシーを予約したもらった。チェックアウトを済ました後宿を後にし、イェシンともお別れ。その後、ザグレブ行きの夜行バスに乗るため、バスターミナルに向かった。ここでB&Hとはさよなら。次はクロアチアザグレブに行くことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル 2017年2月28日

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B&H二日目は、観光地となっているモスタルに行くことにした。モスタルは、平和の橋が有名で、エメラルドグリーンの美しい川との風景が絶景。

サラエボからはバスの場合、片道で1時間40分ぐらいで一日に何本か出ている。料金は片道17マルクだが、往復で買うほうがお得。

 

私は8時15分のバスに乗った。しかし、中心地からバスターミナルまでは割りと離れており、徒歩でいけなくはないが20分以上はかかる。いちいち歩いていたら間に合わないのでトロリーバスを使うことに。宿からバス停はすぐ近くだったのは幸いである。バスターミナル方面は1番系統に乗ろう。間違っても2番、9番には乗ってはいけない。

トロリーバスのチケットはバス停の前にある売店で購入が可能なので必ず買おう。それは何故かと言うと、バスには時々検札が乗るらしく、チケットの提示を要求される事がある。その時に無賃乗車をした場合、高額な罰金を科せられるなど大変なことになるからである。

 

トロリーを待つこと数時間、中々1番系統が来ない。このままではバスの時間に間に合わない。と言うもの、旧ユーゴでは高速バスの時間はやたらと正確だからだ。サラエボは交通量が多く、いつも道が混んでいるため、トロリーも遅くなりがちになる。

 

そしてようやく1番が来た。しかし、朝方で通勤ラッシュのためか、だいぶ混雑していた。スリ防止のためリュックを前に背負って十分過ぎるほどの注意を払う必要がある。

 

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ギリギリだったが、何とかバスターミナルに到着。モスタル行きと書いているが、いつくかの街で停車するようだ。

 

 

8時15分、定刻通りバスは出発。席はそこそこ埋まっていた。バスは進んでいくものの、何度も停車する上に、なぜか高速を使わず一般道を走り続けた。高速代をケチっているのか知らないが、ずっと険しい山道を走っていく。時間がかかるのもなんだか納得がいく。

時に断崖絶壁な道路を渡ることもあり、「この時横転したらどうしよう」とか余計な心配をした時もあった。一方でこうした山道の一部には赤いドクロマークの張り紙が貼られていた。おそらくそれは不発の地雷が埋まっている事を意味しているのだろう。

 

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10時40分頃、モスタルに到着。ターミナル周辺は比較的静かである。

 

 

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売店にあったDVD達。いつから置いているんや、というぐらいにパッケージが色褪せていた。

 

 

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道は分からなかったので多くの人が向かう場所に行ってみた。特に観光客っぽい人達を手がかりに。しばらく歩いて行くと商店等が並んだ大通りが見えてきた。どうやら旧市街地に近づいているようだ。

 

 

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どんどん進むと道が石畳に変わっていく。旧市街に入っていったようだ。そしていよいよあのモスタルメインの平和の橋が見えてくるはずだ。

 

 

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おっ、橋が見えてきたぞ

 

 

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これが平和の橋である。正式名称はスタリ・モスト(古い橋)。歴史は16世紀までに遡ることができる。当時オスマン帝国のスルタンであったスレイマン1世が吊橋の代わりに建設を命じたのが始まりであり、8年かけて完成させた。20世紀まで残っていたが、ボスニア内戦でクロアチア系の民族主義者によって一度破壊されてしまう。しかし、その後再建されて2004年に完成し、そのセレモニーが開催された。これが後に和解へのきっかけとなり、「平和の橋」と呼ばれているのはそのためであろう。この美しい景色と重厚で存在感のある橋の裏には、深い歴史と悲しい過去が隠されていたのである。そういう意味では平和について考えさせられる。

 

 

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エメラルドグリーンの川が非常に美しい。サラエボの川とは大違いだ。

 

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スタリ・モストを通ってみる。結構坂道であるがここも人気の撮影スポットとなっている。オフシーズンにもかかわらず観光客は多く、特にこの日は中国人の団体客がいた。

 

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橋からの眺めも美し。

 

 

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スタリ・モストとはまた別に小さい橋もある。

 

 

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れいな川が台無し

 

 

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橋を過ぎるとお土産屋が立ち並ぶ光景が見える。イスラーム的雰囲気が漂う。

 

 

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モスクも見えている。

 

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一方で内戦の爪痕が残る建物も存在する。これは銃で撃たれた跡。モスタルも内戦の激戦地の一つであった。

 

お昼が来たので食事をしようと雰囲気の良さそうなレストランへ。しかし、入ってみると、中国人団体客でほぼ埋まっていて彼らに独占されている状態であった。とてもじゃないが利用したらダメな雰囲気を感じたので退出し、別の所にすることに。二軒目であるTima Irmaというレストランに偶然入ったが、それが大当たりであった。注文したケバブが激ウマだった。

 

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こちらがB&H名物のケバブ。料金は7マルカ(440円)で安くボリュームがあってコスパも最高。店員さんもとても愛想が良かった。このレストラン、後で調べて分かったのだが、トリップアドバイザーの2017年度レストランランキングのモスタル内で一位だったのである。これは納得っすわ。モスタルを訪れる方は是非。

 

 

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サラエボ行きのバスは本数が多くないので15時発のバスに乗り、サラエボに戻ることにした。モスタル、とても穏やかでいい街だった。

 

 

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戻った後トロリーバスで中心地に向かい、暗殺現場の橋近くで降りたらライトアップされていた。歴史的大事件の舞台だったとは思えないぐらい幻想的だった。

 

 

ではまた。次はクロアチアザグレブについて色々書いていく。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ一日目 2017年2月27日

 

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26日夜、険しい山道を越えてようやくサラエボの中心地に到着した。ホステルは中心地の丁度中にあった。バス会社は今回宿泊するサラエボのホステルとの提携をしていたので、目の前で止めてくれた。

 

今回泊まったのはフランツ・フェルディナンドホステル。フランツ・フェルディナンドはあのサラエボ事件で暗殺されたオーストリアの皇太子である。その名にちなんだ面白いホステルである。なので宿の内観もそれ風にアレンジされている。一見なんて名前なんやと思いがちだが、居心地の良さとロケーションは最高だった。朝食もセルフながら付いている。

 

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壁にはフランツ・フェルディナンド夫妻

 

 

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デザインはWW1関係のものとなっている。部屋はとても快適だし、シャワールームも各部屋ごとに設置されているからシャワー争奪戦に巻き込まれる心配もない。あのBo◯king.◯omでも高評価だった。この宿はベオグラードの宿で会った日本人男性から紹介された。

 

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丁度中心にあるのでアクセスは非常に便利

 

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サラエボの大通り。到着した時は夜で暗かったから分からなかったけど、実はここは昼すぎになると歩行者天国と化する。

 

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中心にはやはりモスクがある。ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下B&H)はムスリムの人口が多いため、これ以外にもモスクは存在する。

 

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川の方を目指して歩いていくと、橋が見えてくる。実はこの橋、フランツ・フェルディナンド皇太子が青年ガブリロ・プリンチップに暗殺された現場である。ここでWW1の発端となる事件が起きたのである。

 

 

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今となっては普通の橋である。狭いので完全に歩行者専用となっている。信じられないがここは歴史の舞台である。

 

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ここは中心地にあるバシュチャルシアという旧市街地である。ここは16世紀のオスマン帝国時代にトルコ様式に設計された商業地であり、今もイスラームの雰囲気が強くある。今までのTHE西欧的な風景に慣れきってしまった私にとってかなり新鮮な雰囲気であり、癒された。

 

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全体が塗られたトロリーバス。中がどうなっているか気になって仕方がない。

 

 

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もちろん教会もある。これはカトリック教会。

 

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B&Hの国旗が掲げられているがなぜか色褪せている

 

中心を散策した後、かつてボスニア内戦の時に激戦区であった通称スナイパー通りに行くことに。ここは20年以上前までは内戦によって荒廃していたことを決して忘れてはいけない。治安面はだいぶ落ち着いている印象だったが、一部の地域では地雷が残っているらしく、完全にその傷跡が消えていない。

 

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スナイパー通りの現在の姿はこんな感じ。今は近代的な建物や銀行、ショッピングセンター等が立ち並んでいる。

 

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これは商業施設。有名店も入っているらしくかなり立派である。しかし、しばらく歩いていくと.....

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この写真のように、至るところに内戦の爪痕が生々しく残っている建物が多くある。これは銃が打たれた跡である。

 

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跡が残る建物の殆どはごく普通の団地である。この事実がなんの罪のない多くの一般市民がこの内戦の巻き添えになったことを物語っている。想像しただけで目を背けたくなったが、同じ歴史を繰り返さないためにはどんな事実であれ、しっかりと向き合うことも大事なのだ。歴史を研究する院生として改めてそのことを痛感した次第である。

 

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これは内戦の犠牲者を追悼する石碑。

 

 

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内戦の犠牲者達の名前が刻まれている。

 

 

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団地や商店が並ぶスナイパー通り。

 

 

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サラエボ1878-1918博物館。主に戦争関係の展示物が多い。サラエボ事件関連の展示があると聞いて行くことに。入場料は4マルク。写真撮影はOKということ。

 

 

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フランツ・フェルディナンド夫妻が実際に着用した服らしい。

 

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一番左の写真は暗殺した犯人であるガブリロ・プリンチップである。彼は終身刑にされたようだ。

 

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実際に暗殺の時に使用された銃。ここまで残っているのは結構生々しい。

 

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皇太子が暗殺された日に発行された新聞。

 

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左はプリンチップが事件時に着用していたズボン。意外だったのが犯人関連の展示が多かったこと。

 

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フェルディナンド夫妻がサラエボに来たときの写真

 

博物館に行った後すでに昼が過ぎていた。さすがにお腹が空いてきたのでお昼ごはんにすることに。シティマップにも掲載されているお店に行くことに。

 

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ここはWi-Fiもつながるし、安くて美味しい料理も多くある。

 

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せっかくなのでラム(また)を茹でた料理を食べることに。やっぱり羊はやめられない。ついでにビールもキメてしまったが仕方がない(何が)

その時、丁度隣に来た男性に声をかけられた。彼も旅行者でカナダ在住のリビア人だった。どこから来たか、とか何をしにサラエボに来たか等と他愛のない話だったが結構はずんだ。男性はこの後仕事で忙しいからと先に出ていった。

 

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食事後は内観がキレイだという噂のシティ・ホールに行くことにした。入場料は学生3マルク。国際学生証ではなくて大学の学生証を見せたら行けた。

 

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内観はまるでモスクのよう。シンプルだがどこか華やかさも感じる。この日は旧ユーゴ国内の写真展が開催されていた。

 

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ステンドグラスの美しさに思わず息を呑む。

 

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シティ・ホールから眺めたサラエボの景色。こう見ると改めて山国だということに気づく。

 

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旧市街の未知のど真ん中にあった謎のマネキン。なぜこの顔なのかは作った本人にしか分からない。完全に表情が逝ってる。

 

夕方になったため、夕飯の材料を買いにスーパーに行くことに。最初はプロフを作ろうと思ったが肝心のクミンシードがなかったので諦めて普通のパスタに。

 

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袋に入った形で売られているミルク。これはロシアやウクライナでも見かける。保存方法とかどうしているんやろうな。

 

次は待ちに待ったモスタルだ。

 

セルビアからボスニアまでの移動の旅 2017年2月26日

セルビア最後の日。夜のバスまで時間があったので大通りでお土産を買うことに。

 

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屋台の土産屋のマグネットの中にはニコラ・テスラをはじめ、もちろんセルビアお決まりのロシアもちゃんとあった。後はプーチンのマグカップやTシャツとかも。セルビアのロシア愛、おそロシア

 

 

せっかくセルビアに来たことで、ラキアとマグネットを購入することに。

それぞれの国のマグネットを集めるのは旅の醍醐味である。ということで、外の屋台で買うことに。と思ったらなんと現金が30ディナール足りなかった。そのことを恐る恐るおじさん店員に言ったら、「170ディナールはあるんでしょ?じゃあもうそれで大丈夫だよ」といって負けてくれた。嬉しいけどなんだかものすごく申し訳ない気持ちになった。

 

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セルビアのマグネット。プリシュティナもちゃんとセルビアの中に入っている。

 

あとはラキア。しかし、酒屋らしき店は見かけない。そこで、お土産店に入って探すことに。すると、やっぱりあった。しかし、旅はまだまだ長く荷物になるので大きいサイズは買わずに小さめにすることに。値段は1500ディナール(1470円)ぐらいでリーズナブル。嬉しかったのは特別に店オリジナルのマグネットをおまけで付けてくれたこと。

 

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マグネットがもれなくついてくる的な感じ?

 

宿に戻ると、日本人女性二人とちょっとしたおにぎりパーティーをすることに。

米と海苔を予め買ってきて下さったのでそれで作ることに。

 

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ベオにも海苔が売っていた。買った乾燥ディルを混ぜたら案外いけた。

ここで、キューバ人のおじさんが参入し、セルビアワインを振る舞ってくれた。甘口の飲みやすい赤ワイン。他にもサラダ等も作った。私も一緒になって手伝った。久々のおにぎりは懐かしい味がした。

 

 

そうこうしているうちに、出発時間である17時が来た。今回はホステルが提携しているタクシー会社のミニバスを予約したため、バスは直接来てくれていた。これでサラエボに出発するのだ。ここで日本人女性とスタッフとはお別れした。旅での出会いはとてもかけがえのないものであるが、仲良くなると別れが寂しくなるのがとても辛かったりする。でも複数の国々を放浪している以上これは仕方のないことなのだ。皆それぞれ行き先も異なるのだから。

 

 

そしてバスに乗り込み、出発。この時すでに4人ぐらい乗っていた。オンシーズンではパンパンになるそうだ。バスは結構スピードを出していたので若干の恐怖を感じたがドライバーは慣れた様子だったので彼の腕を信じることにした。道路は一般道をずっと通る感じだった。しばらく走って2時間が過ぎた頃、国境付近に到着。また出入国審査がはじまった。国境を越えるこの瞬間がたまらなく好き。パスポートを提出をし、しばらくバスの中で待つと、返却され、スタンプがしっかりと押されていた。バスは動き、ボスニア・ヘルツェゴビナ(長くて表記がめんどくさいので以下B&H)に入国した。

 

入国後、すぐにパーキングエリアで小休憩を撮ることに。国境付近お決まりなのだが、野犬が二匹ぐらいワンワン吠えていた。国境越えを記念して私は早速ビールをキメた。

 

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セルビアのビールだけどね。

 

今日はここまで。

セルビア・ノビサド 2017年2月25日

この日はセルビアの第二の都市ノビサドへ。セルビアにはしばらく滞在するし、ベオグラードだけで留まるももったいないので。

 

ノビサド行きの列車は一日に何本か出ている。私は列車で行くことに。

料金は377ディナール(約390円ぐらい)。途中で何駅か止まるので結構遅く、一時間半程かかる。

 

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今回乗ったのはこれ。結構新しい車両だ。

 

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その一方で落書きだらけの車両もある。しかも通常運行している。これはノビサド行きではない。

 

出発は一番線だったが、これがややこしく、なんと一番線が2つあったのだ。1番と1Aというもがあり、私が乗る列車は1Aだった。この時それがよく分からなくて駅員や周辺の人に聞きまくっていた。幸い、セルビアは英語が通じる人が多かったので助かった。8時56分発だが乗車できるのは時間ギリギリであった。

 

列車が出発後、最初は人は少なめであったが、他の駅から次々と人が乗り、最終的には満席になっていった。

 

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ノビサド駅。ルーマニアのブラショフの駅とどことなく似ている気がするが気のせいだろうか。とにかく鳩が多く糞だらけで汚い印象だった。

 

 

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朝を食べずに出発してお腹が減っていたので、とりあえず軽食。真ん中の美味しそうなサンドイッチを頼んでみた。だが.....

 

 

 

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見事に写真詐欺に引っかかってしまったようだ。

 

 

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しばらく大通りを真っ直ぐ通ると中心地に近づいてくる。ノビサドの名所の一つである聖マリア教会が見えてくる。

 

 

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これが聖マリア教会で見てのとおりカトリックの教会である。

 

 

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これがノビサドの中心となる広場。この時期は丁度マーケットが開催されていいた。土産をはじめ、名産品等の販売をしている。ここは一応旧市街となっているが、これらの建物のほとんどは19世紀以降に建てられたらしい。風景は非常に魅力的だが、どうしても新しいものより歴史のある方が良いと感じてしまう。

 

 

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ノビサドの大通りで歩行者天国となっている。有名店をはじめレストランやカフェ、あらゆるお店などが揃っている。この日は天気が良かったので特に人通りがあった。

 

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西欧的な建造物が並んでいる。セルビアにいることを忘れる。

 

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中心地近くの公園を通ってさらに奥に行くと、ドナウ川が見えてくる。ここはノビサド民の憩いの場になっている。ここでは、橋の奥にあるペトロワラディン要塞が見えてくる。非常に穏やかで風が気持ち良い。

 

 

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さらにドナウ川周辺を散策すると、ルーマニアの国旗が掲げられた船が見えてきた。何の船かはよく分からないが観光用ではなさそうだ。

 

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ペトロワラディン要塞が一番キレイに見える場所の写真。自分で言うのも難だが絵葉書にできそうな風景が出来上がった。

 

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ノビサドにも過去に悲しい歴史がある。1942年のサド蜂起でハンガリー警察によって多くのユダヤ人が殺害され、ドナウ川に投げ捨てられる事件があった。石碑にはその犠牲者達の名前が刻まれている。

 

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ペトロワラディン要塞に向かうために橋を渡る。すると、街を出るときの看板が登場。高速道路などでよく見かけるやつだ。

 

 

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橋からみたドナウ川。改めて見ると結構広い

 

橋を抜けた後、要塞の出入り口を探す。だが、見つからない。一応看板どおりに行こうとするが、観光客らしい人を見ないし、道が合っているかどうかの自身も無くなった。その時、たまたま通りかかった男性が英語で「どうかしましたか」と声をかけてくれた。スラッとしたワイルドなイケメンだった。私は「要塞の出入り口を探しています。」といったら、すぐに案内をしてくれた。最初はその見返りに金をとるんじゃないかと警戒したが(3年前にブダペストの鉄道駅で席を探してくれたおっさんにチップを要求されたことがあるから)、それはなくただの親切な人だったので安心。場所は以外にも狭い路地の近くで分かりにくい場所にあった。もしこのイケメン男性に声をかけられなかったら永遠に迷っていたにちがいない。

 

無事に要塞の入口に到着したらいよいよ出発。

 

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この石畳の階段を登り続ける。これが意外としんどい。結構観光客も多くいた。

 

上に到着したら、テラスや時計台があり、多くに人で賑わっていた。

 

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上からは赤い屋根が広がって非常に美しい。ここがさっき自分が歩いていた場所なのが信じられない。

 

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上から眺めるドナウ川と中心地。ここは人気の撮影スポットになっている。

 

 

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時計台

 

 

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要塞の上には犬の散歩やランニングをしている人も結構いた。ベンチにはいちゃついているカップルも。

 

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さて、要塞を見た後は中心地に戻り、帰る準備を始める。駅前に丁度スーパーがあったので買い物を済ましたあと駅に。ベオグラード行きの列車はそこまで本数は多くはないので早めに帰ることに。

 

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列車の中。結構快適だが行きに比べると人は多かった。

 

 

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ベオグラードに戻った後、宿のスタッフおすすめの近くのレストランで晩御飯を食べることに。セルビアに来た以上はラキアを決めたい、と思い注文。アプリコット風味はとても甘みがあって飲みやすかった。下に氷が入っているお陰で程よく冷えて美味かった。

 

 

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セルビア最後の夜ということで思い切ってラムチョップを注文。ラムも臭みが無く塩加減も丁度良くて美味。この時料理を運んでくれたダンディなおじさんウェイターが「お味はどう?」と話しかけてくれた。もちろん「ラムが好きなので最高です」と答えた。するとおじさんはニコッとしてくれた。ほんのわずかなやり取りだがなんだか癒やされた気分だ。

 

 

セルビアもこれで終わり、次はいよいよボスニア・ヘルツェゴビナだ。