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とある凡人院生さんの旅にっき

ド素人旅人が旅について適当に書いていくブログ

ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ一日目 2017年2月27日

 

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26日夜、険しい山道を越えてようやくサラエボの中心地に到着した。ホステルは中心地の丁度中にあった。バス会社は今回宿泊するサラエボのホステルとの提携をしていたので、目の前で止めてくれた。

 

今回泊まったのはフランツ・フェルディナンドホステル。フランツ・フェルディナンドはあのサラエボ事件で暗殺されたオーストリアの皇太子である。その名にちなんだ面白いホステルである。なので宿の内観もそれ風にアレンジされている。一見なんて名前なんやと思いがちだが、居心地の良さとロケーションは最高だった。朝食もセルフながら付いている。

 

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壁にはフランツ・フェルディナンド夫妻

 

 

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デザインはWW1関係のものとなっている。部屋はとても快適だし、シャワールームも各部屋ごとに設置されているからシャワー争奪戦に巻き込まれる心配もない。あのBo◯king.◯omでも高評価だった。この宿はベオグラードの宿で会った日本人男性から紹介された。

 

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丁度中心にあるのでアクセスは非常に便利

 

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サラエボの大通り。到着した時は夜で暗かったから分からなかったけど、実はここは昼すぎになると歩行者天国と化する。

 

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中心にはやはりモスクがある。ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下B&H)はムスリムの人口が多いため、これ以外にもモスクは存在する。

 

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川の方を目指して歩いていくと、橋が見えてくる。実はこの橋、フランツ・フェルディナンド皇太子が青年ガブリロ・プリンチップに暗殺された現場である。ここでWW1の発端となる事件が起きたのである。

 

 

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今となっては普通の橋である。狭いので完全に歩行者専用となっている。信じられないがここは歴史の舞台である。

 

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ここは中心地にあるバシュチャルシアという旧市街地である。ここは16世紀のオスマン帝国時代にトルコ様式に設計された商業地であり、今もイスラームの雰囲気が強くある。今までのTHE西欧的な風景に慣れきってしまった私にとってかなり新鮮な雰囲気であり、癒された。

 

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全体が塗られたトロリーバス。中がどうなっているか気になって仕方がない。

 

 

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もちろん教会もある。これはカトリック教会。

 

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B&Hの国旗が掲げられているがなぜか色褪せている

 

中心を散策した後、かつてボスニア内戦の時に激戦区であった通称スナイパー通りに行くことに。ここは20年以上前までは内戦によって荒廃していたことを決して忘れてはいけない。治安面はだいぶ落ち着いている印象だったが、一部の地域では地雷が残っているらしく、完全にその傷跡が消えていない。

 

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スナイパー通りの現在の姿はこんな感じ。今は近代的な建物や銀行、ショッピングセンター等が立ち並んでいる。

 

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これは商業施設。有名店も入っているらしくかなり立派である。しかし、しばらく歩いていくと.....

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この写真のように、至るところに内戦の爪痕が生々しく残っている建物が多くある。これは銃が打たれた跡である。

 

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跡が残る建物の殆どはごく普通の団地である。この事実がなんの罪のない多くの一般市民がこの内戦の巻き添えになったことを物語っている。想像しただけで目を背けたくなったが、同じ歴史を繰り返さないためにはどんな事実であれ、しっかりと向き合うことも大事なのだ。歴史を研究する院生として改めてそのことを痛感した次第である。

 

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これは内戦の犠牲者を追悼する石碑。

 

 

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内戦の犠牲者達の名前が刻まれている。

 

 

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団地や商店が並ぶスナイパー通り。

 

 

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サラエボ1878-1918博物館。主に戦争関係の展示物が多い。サラエボ事件関連の展示があると聞いて行くことに。入場料は4マルク。写真撮影はOKということ。

 

 

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フランツ・フェルディナンド夫妻が実際に着用した服らしい。

 

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一番左の写真は暗殺した犯人であるガブリロ・プリンチップである。彼は終身刑にされたようだ。

 

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実際に暗殺の時に使用された銃。ここまで残っているのは結構生々しい。

 

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皇太子が暗殺された日に発行された新聞。

 

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左はプリンチップが事件時に着用していたズボン。意外だったのが犯人関連の展示が多かったこと。

 

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フェルディナンド夫妻がサラエボに来たときの写真

 

博物館に行った後すでに昼が過ぎていた。さすがにお腹が空いてきたのでお昼ごはんにすることに。シティマップにも掲載されているお店に行くことに。

 

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ここはWi-Fiもつながるし、安くて美味しい料理も多くある。

 

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せっかくなのでラム(また)を茹でた料理を食べることに。やっぱり羊はやめられない。ついでにビールもキメてしまったが仕方がない(何が)

その時、丁度隣に来た男性に声をかけられた。彼も旅行者でカナダ在住のリビア人だった。どこから来たか、とか何をしにサラエボに来たか等と他愛のない話だったが結構はずんだ。男性はこの後仕事で忙しいからと先に出ていった。

 

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食事後は内観がキレイだという噂のシティ・ホールに行くことにした。入場料は学生3マルク。国際学生証ではなくて大学の学生証を見せたら行けた。

 

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内観はまるでモスクのよう。シンプルだがどこか華やかさも感じる。この日は旧ユーゴ国内の写真展が開催されていた。

 

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ステンドグラスの美しさに思わず息を呑む。

 

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シティ・ホールから眺めたサラエボの景色。こう見ると改めて山国だということに気づく。

 

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旧市街の未知のど真ん中にあった謎のマネキン。なぜこの顔なのかは作った本人にしか分からない。完全に表情が逝ってる。

 

夕方になったため、夕飯の材料を買いにスーパーに行くことに。最初はプロフを作ろうと思ったが肝心のクミンシードがなかったので諦めて普通のパスタに。

 

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袋に入った形で売られているミルク。これはロシアやウクライナでも見かける。保存方法とかどうしているんやろうな。

 

次は待ちに待ったモスタルだ。